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福島地方裁判所 昭和52年(行ウ)6号 判決

原告 木野内美知子

被告 地方公務員災害補償基金福島県支部長

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告が原告の公務災害認定請求に対し昭和四九年一〇月八日付を以てした公務外認定処分はこれを取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

1  本案前の申立

(一) 原告の訴えを却下する。

(二) 訴訟費用は原告の負担とする。

2  本案に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は福島県立医科大学附属病院(以下「本件病院」という。)に看護婦として勤務する者であり、昭和四五年四月一三日から人工腎臓室(以下「本件室」という。)で血液透析業務(以下「本件業務」という。)に従事していたところ、同四六年五月ころから右肩及び右腕に疲れや痛みを感じるようになり、同四八年九月二七日本件病院で頸肩腕症候群(以下「本件疾病」という。)と診断された。

2(一)  そこで、原告は、同年一二月七日被告に対し、本件疾病が地方公務員災害補償法(以下「法」という。)上の「公務上の疾病」に該当するものとして公務災害の認定請求を行なつたが、被告は同四九年一〇月八日本件疾病を公務外の災害と認定し、これについて補償をしない旨決定した(以下「本件決定」という。)。

(二)  原告は、本件決定を不服として同年一二月一一日地方公務員災害補償基金福島県支部審査会(以下「支部審査会」という。)に審査請求をしたが、支部審査会は同五〇年一一月五日これを棄却する旨の裁決(以下「審査裁決」という。)をなした。

(三)  原告は、審査裁決を不服として同五一年一月一九日地方公務員災害補償基金審査会(以下「審査会」という。)に再審査請求をしたが、審査会は同五二年六月一日これを棄却する旨の裁決(以下「再審査裁決」という。)をなし、その裁決書謄本が同年七月一四日原告に送達された。

3  本件決定の理由は、本件疾病が本件業務と相当因果関係をもつて発症したものとは明らかに認めることができないというものである。

4  しかし、本件業務は手指を酷使する反復作業であり、しかも患者の生命、身体に対する影響が重大であるため精神的緊張度が高いうえ、次に述べるような過重な労働条件であつたため、原告は疲労が蓄積し、その結果本件疾病が発生したのであつて、本件疾病は本件業務と相当因果関係を有するものであり、公務により生じた災害と認定すべきである。

(一) 原告が本件業務を開始した時期

原告は本件病院の第三内科に勤務していたところ、昭和四五年四月一三日から本件室における本件業務を兼務するようになり、同年五月九日ころから本件業務のみに従事した。

(二) 本件業務の従事人員及び勤務時間

(1) 同年四月一三日から同年六月八日まで

本件室勤務の職員は原告とパートの佐々木であり、同人の勤務時間は午前八時三〇分から午後三時までであつたため、同時刻以降は原告が一人で本件業務を行つていた(原告は第三内科と本件室を兼務していた同年五月九日ころまでは第三内科の深夜勤務も行なつていた。)。

当時、人工腎臓透析台が二ないし三台あり、一週間のうち二日間は長時間(通常一〇時間)透析を要する患者の透析、三日間は短時間(通常七時間)透析を要する患者の透析が行なわれた。透析の準備には約一時間、透析終了後の後始末及び透析台の透析膜の張り替え作業に約一時間三〇分を要し、透析終了時刻は長時間透析の場合が午後七時三〇分、短時間透析の場合が午後四時三〇分であつたため、すべての作業が終了する時刻は前者の場合が午後九時、後者の場合が午後六時であつた(しかし、右作業終了時刻は、患者の状態や機械の不調によつてしばしば遅れた。)。

このような状況の下で、原告は一週間に九時間四五分の残業(本件病院においては、午後五時一五分以降は残業となる。)を強いられ、原告の同年五月における残業時間の合計が七二時間となつた。

(2) 同年六月九日から同年一二月まで

(1)と同様に原告と佐々木が本件業務に従事していたが、原告の勤務時間は、短時間透析の場合が午前八時三〇分から同一〇時三〇分及び正午から午後六時、長時間透析の場合が午前八時三〇分から同一〇時三〇分及び午後三時から同九時になつた(佐々木の勤務時間は従来どおりどちらの場合も午前八時三〇分から午後三時までであつた。)。その結果、原告は午前一〇時三〇分から正午又は午後三時まで休憩時間を取ることができるようになつたが、実際上は佐々木が休暇を取るなどした場合には原告が右休憩を取れなかつたり、また、休憩が取れた場合でも仕事からの解放感を味わうことができず、精神的な拘束感は継続していた。

このように過重な労働条件である上、本件業務自体精神的緊張度が高いため、原告は疲労が蓄積し、勤務を終了して帰宅すると就寝するだけの毎日が続いた。

(3) 同四六年一月から同年四月まで

同年一月佐々木が退職し、看護婦の横山亮子(以下「横山」という。)が本件室の勤務となつた。原告も横山も午前八時三〇分に出勤し、一人は継続して午後五時一五分まで勤務し、他の一人は、短時間透析の日は午前一〇時三〇分から正午まで、長時間透析の日は午前一〇時三〇分から午後三時まで休憩した後再び勤務に復帰し作業の終了まで勤務するという勤務体制となつた。しかし、本件業務に習熟している原告の方に作業が集中する傾向があつた。

(4) 同年五月以降

透析台が八台となり、本件室に主任看護技師菅野静子(以下「菅野」という。)が配置され合計三名となつた。当初約一か月は菅野を一人にしないために原告と横山が(3)と同様の勤務体制を採つていたが、その後は右三名が平等に順番に従つて通常勤務二名、午後から出勤する遅出勤務一名という体制が採られた。また、透析の際患者の血液を取り出す方法に関して、従来行なわれていた外シヤント(透析終了後の止血の際に手を使用する必要がない方法)から新しく内シヤント(右止血の際に両手又は片手を使用して止血点二か所を力をこめて一〇分ないし六〇分(長い場合には二時間)押え続ける必要がある方法)に変更された。このころから原告の前記症状が発生し始めたのである。

5  よつて、原告は被告に対し、本件決定の取消を求める。

二  被告の本案前の申立の理由

仮に本件疾病が公務上の災害であると認定されたとしても、それによつて原告が何らかの給付や利益回復を受けることはないから、原告は本件決定の取消を求めるにつき法律上の利益を有しない。

例えば、

(一)  原告が本件疾病のために要した療養費は原告が組合員として加入している公立学校職員共済組合から全額支給されているから、原告の負担額は全くない。

(二)  原告は本件疾病のために昭和四八年一一月二日から同四九年一月一〇日まで病休したが、これによつて給与、期末手当、勤務手当、昇給等に関して不利益な取扱いを全く受けていない。

(三)  その他原告は本件決定によつて特段の不利益を受けたことはない。

三  本案前の申立に対する原告の反論

1  本件疾病が公務上の災害と認定されることにより、原告は次のとおり権利、利益を有する。

(一) 原告は被告から療養補償及び休業補償を受けることができる。

(二) 原告が本件疾病により療養のため休業する期間及びその後三〇日間は解雇されない保障がある。

(三) 本件疾病の症状が固定し、原告に身体障害が残つた場合には、原告は被告から障害補償を受けることができる。

2  それにもかかわらず、原告は本件決定によつて右権利を侵害されているから、原告は本件決定の取消を求めるにつき法律上の利益を有する。

四  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実のうち、原告が昭和四六年五月ころから右肩及び右腕に疲れや痛みを感じるようになつたことは知らず、その余は認める。

2  同2(一)ないし(三)及び3の事実は認める。

3  同4の事実について

(一) 冒頭の事実は争う。

(二) (一)の事実は認める。

(三) (二)について。(1)のうち、午後三時以降原告が一人で本件業務を行なつていたこと、昭和四五年五月における原告の残業時間の合計が七二時間となつたことは否認し、本件室勤務の職員が原告とパートの佐々木であつたこと、同人の勤務時間が午前八時三〇分から午後三時までであつたこと、原告が第三内科と本件室を兼務していた昭和四五年五月九日ころまでは原告が第三内科の深夜勤務も行なつていたことは認める。佐々木が帰る午後三時以降は本件病院の中央病棟の看護婦、担当医師らが随時協力していたので原告が一人で作業する状態ではなかつた。原告が本件室と第三内科を兼務していた期間中においては、第三内科の夜勤があつた翌日の日勤は休みとなるという交代勤務体制であつて、過重な勤務状態ではなかつた。透析業務は一週間のうち四日間ないし五日間行なわれ、透析終了時刻は午後五時ないし午後七時三〇分であつた。

(2)のうち、原告と佐々木が本件業務に従事していたこと、原告の勤務時間が短時間透析の場合午前八時三〇分から同一〇時三〇分及び正午から午後六時まで、長時間透析の場合午前八時三〇分から同一〇時三〇分及び午後三時から同九時になり、原告が午前一〇時三〇分から正午又は午後三時まで休憩時間をとるようになつたこと、佐々木の勤務時間が従来どおり午前八時二〇分から午後三時までであつたことは認め、過重な労働条件であつたことは否認する。

(3)のうち、昭和四六年一月佐々木が退職し、看護婦の横山が本件室の勤務となつたことは認める。

(4)のうち、透析台が八台となり、本件室に主任看護技師菅野が配置され、本件室勤務の職員が三名となつたことは認める。透析の際患者の血液を取り出す方法が外シヤントから内シヤントへ変更したのは八名の患者中二名のみであつた。内シヤントは止血のために約二〇分止血点を指で押える必要があるが、患者自身が行うこともできるのであつて、内シヤントによる方法が特に過重な作業とは言えない。

第三証拠〈省略〉

理由

一  原告が本件病院に看護婦として勤務する者であり、昭和四五年四月から本件室で本件業務に従事していたこと、原告が同四八年九月二七日本件病院で本件疾病であると診断を受けたこと及び請求原因2(一)ないし(三)、同3の各事実は当事者間に争いがない。

二  原告が本件決定の取消しを求めるにつき法律上の利益を有するか否かについて判断するに、本件疾病が公務上の災害であると認定されたならば、原告は、法二五ないし二八条、二九条によつて一定の要件の下に療養補償、休業補償及び障害補償を受ける法的地位を取得することができるのであつて、原告の場合法附則八条、法施行令附則三条、三条の二には該当しないし、また地方公務員等共済組合法九一条、九一条の二等に照らしても法による給付と右共済組合法による給付とは必らずしも択一関係にあるものではないから、原告は本件決定の取消しを求めるにつき法律上の利益を有すると言うべきである。

三  次に、本件疾病が本件業務により生じた災害と認定できるか否かについて判断する。

1  成立に争いのない甲第五号証の二によれば、頸肩腕症候群とは、種々の機序により後頭部、頸部、肩甲帯、上腕、前腕、手及び指のいずれかあるいは全体にわたり「こり」、「しびれ」、「いたみ」などの不快感を覚え、他覚的には当該部諸筋の病的な圧痛及び緊張若しくは硬結を認め、時には神経、血管系を介しての頭部、頸部、背部、上肢における異常感、脱力、血行不全などの症状を伴うことのある症状群に対して与えられた名称であること、成立に争いのない甲第一号証、乙第五号証及び原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第四号証によれば、人工腎臓は腎臓の排泄機能を代行するもので腎不全患者の血液を透析することによつて患者の延命と社会復帰をはかるもので、右透析の原理は、セロフアンの透析膜を境にして片側に患者の血液を、他側に調整された灌流液を流すとセロフアン膜には微細な孔があるから両液の溶質は各々濃度の高い方から低い方へセロフアン膜を通過して移行し、これによつて血中に蓄積していた残余窒素(尿素尿酸クレアチニン等)や余分な量の電解質(ナトリウム、クロール、マグネシウム等)や中毒性薬物(睡眠薬、サリチル酸、エチレングリコール、メタノール、イリユアジド等)は灌流液中に除かれ、減少していた電解質(カルシウム、重炭酸、イオン等)は血液中に補なわれてそれぞれ正常値に復し、これによつて血液の酸塩基平衡も正常に復するというもので、灌流液に陰圧をかければセロフアン膜の微細孔から血中の過剰な水分も除かれるものであることがそれぞれ認められる。

2  本件業務の内容

前掲甲第一号証及び証人横山の証言によれば、(一)人工腎臓透析台を稼働させる日の作業内容は、(1)午前八時三〇分透析前の機械、器具類の準備、点検。(2)午前九時患者の準備(体温、血圧、脈拍、体重の測定、患者観察、記録)、透析台の準備、シヤント部の消毒。(3)午前九時三〇分ないし同一〇時医師が患者のシヤントに透析台の回路を連結し透析開始、ヘバリンポンプ接続、血流量測定、採血、血圧・脈拍測定、記録。(4)午前一一時一般看護と患者の経過観察、一時間毎に血圧・脈拍測定、排便介助。(5)正午昼食介助、摂取量測定、投薬介助。(6)空き時間に前日使用した透析台のセロフアン膜の取り替えをする場合もあつた。(7)終了時の準備、シヤント部消毒、血液回収、医師が患者のシヤントから透析台の回路を分離、包帯、体重測定、後始末等であつたこと、(二)透析台を稼働させない日の作業内容は、圧布類の洗濯、透析材料の消毒、セロフアン膜の取り替え、透析台の消毒、記録物の整理、翌日の採血準備、薬品・中材・物品関係の受払、機械・器具類の点検整備、衛生材料作成等であつたことが認められる。

3  原告が本件業務を開始した時期

原告が本件病院の第三内科に勤務していたところ、昭和四五年四月一三日から本件室における本件業務を兼務するようになり、同年五月九日ころから本件業務のみに従事したことは当事者間に争いがない。

4  本件業務の従事人員及び勤務時間

(一)  昭和四五年四月一三日から同年六月八日まで

本件室勤務の職員が原告とパートの佐々木であつたこと、佐々木の勤務時間が午前八時三〇分から午後三時までであつたこと、原告が第三内科と本件室を兼務していた同年五月九日ころまでは第三内科の深夜勤務も行なつていたことは当事者間に争いがない。

前掲甲第一号証、成立に争いのない甲第二号証、証人横山及び同橋本ミヨ(以下「橋本」という。)の各証言、原告本人尋問の結果(一部)並びに弁論の全趣旨によれば、原告が第三内科と本件室を兼務していた間は、第三内科の日勤に当たる日に本件室の勤務をし、第三内科の夜勤に当たる日は第三内科の病棟の夜勤をし、その夜勤明けの日は休日となり、右日勤と夜勤の順番が回つて来る割合は第三内科の病棟に専属勤務している看護婦と全く同じであつたこと、佐々木が帰つた午後三時以降や同人が欠勤した場合は、本件室勤務の職員が原告一人になるため、他の室から本件室へ応援勤務の者が来る体制が採られており、原告が一人ではできない作業(例えば、透析台のセロフアン膜の張替え)の場合には、医師や応援勤務の者が手伝つていたこと、当時透析台は三台あつたが一日に実際に稼働するのは二台であり、透析作業は一週間のうち土曜日を除く平日の五日間行なわれ、透析時間は患者一人につき概ね六ないし八時間で場合によつては一〇時間を要することもあり、透析患者は一日約二名であつたこと、透析終了時刻は、七時間透析の場合が午後四時三〇分、一〇時間透析の場合が午後七時三〇分であり、後始末等すべての作業が終了するのは、通常前者の場合が午後六時、後者の場合が午後九時であつたが、患者の状態や機械の不調によつて遅れることもあつたこと、本件病院においては午後五時一五分以降は残業となるが、原告は一週間に九時間余の残業をしたこともあつたことが認められる。なお、原告は昭和四五年五月の原告の残業時間が合計七二時間になつた旨主張するが、原告の供述以外にはこれに沿う証拠がなく、直ちに右供述を信用することはできない。

(二)  同年六月九日から同年一二月まで

(一)と同様に原告と佐々木が本件業務に従事していたこと、原告の勤務時間が、短時間透析の場合午前八時三〇分から同一〇時三〇分まで及び正午から午後六時まで、長時間透析の場合午前八時三〇分から同一〇時三〇分まで及び午後三時から同九時までになり、その結果原告が午前一〇時三〇分から正午又は午後三時まで休憩時間をとることができるようになつたこと、佐々木の勤務時間は従来どおりどちらの場合も午前八時三〇分から午後三時までであつたことは当事者間に争いがない。

証人橋本の証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告は右休憩時間中は原告が居住している本件病院の寮や本件病院内の休憩室で寝るなどして休憩をとつていたが、その間も仕事から完全に解放された気分を味わうことはできず、多少なりとも精神的な拘束感は継続していたこと、透析が順調に行かなかつた場合には右休憩時間に入つても原告が作業をしなければならないこともあつた上、佐々木が欠勤した場合には右休憩を取れなかつたことが認められるが、原告が勤務を終了して帰宅すると就寝するだけの毎日が続いたことを認めるに足りる証拠はない。

(三)  同四六年一月から同年四月まで

同年一月佐々木が退職し、看護婦の横山が本件室の勤務となつたことは当事者間に争いがなく、証人横山の証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告も横山も午前八時三〇分に出勤し、一人は継続して午後五時一五分まで勤務し、他の一人は、短時間透析の日は午前一〇時三〇分から正午まで、長時間透析の日は午前一〇時三〇分から午後三時まで休憩した後勤務に復帰し透析終了まで勤務するという勤務体制となり、原告は労働時間上も作業内容上も横山と全く平等の負担となつたこと、また第三内科の医師が当番制で一人ずつ本件室へ来る体制が採られていたことが認められる。

(四)  同年五月から昭和四七年三月まで

透析台が八台となり、本件室に主任看護技師菅野が配置され、本件室の職員が合計三名となつたことは当事者間に争いがない。

前掲甲第一、第四号証、成立に争いのない乙第六号証、証人横山の証言、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、当初約一か月間は菅野を一人にしないために原告と横山が(三)と同様の勤務体制を採つていたが、その後、透析作業が行なわれる日には右三名のうち二名が早番として午前八時三〇分から午後五時一五分まで勤務し、残りの一人が遅番として正午から午後八時四五分まで勤務するという体制(右三人が右早番、遅番を平等に順番に分担していた。)、透析作業が行なわれない日は全員が午前八時三〇分から午後五時一五分まで(但し、土曜日は〇時三〇分まで)勤務する体制(各々の勤務時間中に一人につき合計一時間一五分の休憩時間が設けられた。)が採られたこと、透析作業は一週間のうち、月・火・木・金曜日の四日間行なわれ、水・土曜日は跡片付け及び翌日の透析の準備に当てられ、日曜日は休日であつたこと、八台の透析台のうち一日に稼働するのは四台であり、患者も一日四名であつて週四日で延べ約一六人の患者を扱うが、同じ患者が週二回透析を受けるので、約八名が固定的な患者であつたこと、右八名のうち約二名について、患者に透析台の回路を取付ける器具が従来の外シヤント(腕の中の二本の血管をシリコン入りテフロンチユーブで結んで接続し、それを体外に露出させ、コネクターを取り除いてこれを各々透析台に直結させる方法)から新たに内シヤント(あらかじめ患者の腕の皮下静脈と動脈を皮下で直結吻合する手術を施し、透析の都度右皮下静脈に動脈針を穿刺留置して血液をポンプで体外に導き出し、透析された血液を右静脈の中枢側に動脈針を穿刺留置して戻す方法)に替わつたが、内シヤントは透析終了後に針を抜いて止血のために約二〇分間指で出血点二点を押えていることが必要であつたが、それは時には看護婦がやつたが通常は患者に押えさせていたことが認められる。

(五)  同年四月から同四八年五月まで

前掲甲第一号証及び証人横山の証言によれば、同四七年三月に横山が退職し、同年四月から看護助手斎藤佐和子(以下「斎藤」という。)が本件室の勤務となり、その余の点については右(四)と同様であつたことが認められる。

(六)  同年六月から同年八月まで

前掲甲第一号証及び調査嘱託の結果(同五三年一一月一五日嘱託分)によれば、本件室に勤務する職員として新たに看護技師矢吹モト子(以下「矢吹」という。)が加わり合計四名となつたこと、斎藤を除く三名の一か月間における残業時間は各々二時間前後であつて、ほぼ平等であつたこと、その余の点については(五)と同様であつたことが認められる。

(七)  同年九月(同月二七日に原告が本件疾病であるとの診断を受けたことは前記のとおりである。)

前掲甲第一号証及び原告本人尋問の結果によれば、従来使用されていた透析台(スタンダードキール型)は透析膜のセロフアンの張替作業が必要であつたが、同月から右作業が不要で使い捨ての透析膜を使用している透析台(ホローフアイバー型)が使用されるようになつたこと、内シヤントの場合の止血方法が止血具を使用することになり手指を使う必要がなくなつたこと、その余は(六)と同様であつたことが認められる。

5  本件疾病の発生に至る経過及び治療経過

前掲甲第一号証、成立に争いのない乙第一号証の一、二、証人橋本の証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告は同四二年四月一日本件病院に臨時採用され、同四四年九月一日同病院に正規採用され、同四五年四月一二日まで第三内科に専属勤務し他の看護婦と全く同じ労働条件の日勤、夜勤の交替制の下で病棟における患者の看護や治療の仕事を行なつていたこと(但し、後記の病気の後である同四三年一月四日から同四四年八月三一日までは半日勤務をしていた。)、原告は昭和四五年四月一三日から前記のように本件室の勤務となつたが、同年五月ころ本件病院の総看護婦長である橋本に対し前記4(一)における勤務時間ではきついので改善を要望する申出をした結果、勤務時間が同4(二)のように変更されたこと、原告は同月から同四六年一月まで全身に疲労感を覚え、同年ころから透析台のセロフアン膜の張替え及び内シヤントの要手圧迫止血の後に右側の肩と腕の疲れが感じられ、同四七年ころには右作業の後に右側の肩と腕の痛みが続き、同四八年には右作業後の痛みが強さを増すとともに長く持続するようになり、ついには朝洗面をしただけで右部位が痛み出し、その痛みが本件業務を行なうに従つて強さを増しながら終日続き、帰宅後完全に寝入つてしまうまで痛みが消えなくなつたこと、そのため原告が同年九月二七日本件病院で医師による診察を受けたところ、前記のように本件疾病と診断されたこと、本件疾病について医師の診察を受けたのはそれが初めてであつたこと、原告には右診察の結果前記自覚症状以外検査による他覚的所見は認められなかつたこと、原告は同日から同四九年一月一〇日まで家事等もほとんど行なわずに休養し、その間同四八年一二月一三日まで温熱療法、マツサージ、軽い頸椎の牽引療法、頸部ホツトパツク、間歇牽引等による治療を受けたが、右肩と右上腕の痛みが以前に比べ程度は軽くなつたものの自覚症状として消えず(検査による他覚的所見は最初の受診以来認められなかつた。)治療の効果が見られなかつたため、同月一九日治療が中止され、医師の指示に従い同四九年一月一一日から第三内科の外来受付に半日勤務で復職し、同年三月八日から同年八月まで右受付において他の看護婦と同様の通常の勤務時間で働くようになり、同年九月一日以降同科外来の処置室等に勤務したが復職後も右自覚症状は続き、同五五年当時でも仕事の量が多いときは右腕が痛むことがあるが日常生活はできること、原告を診察した医師は、最終的な診断として、本件疾病は広義の頸肩腕症候群(すなわち労働衛生的にいう上肢、肩、頸にかけての疼痛等を伴うもの)ではあるが、狭義の頸肩腕症候群(整形外科的、神経学的検査で他覚的所見が認められるもの、例えば、変形性脊椎症、胸部出口症候群、頸肋等)ではなく、いわば疼痛のある状態、症状ともいうべきものと考え、本件疾病を自覚症状のみが先行する不定愁訴とでもいうべきものかもしれない旨判断していることが認められる。

6  本件業務のうち上肢に負担のかかる作業内容

前掲甲第一号証、乙第五、第六号証、証人横山の証言及び原告本人尋問の結果によれば、本件業務のうち上肢に負担のかかる作業内容としては、(一)透析台のセロフアン膜の張替え (二)内シヤント留置針抜去後の要手圧迫止血 (三)送血ポンプの持上げ (四)透析用の薬液をタンクへ補填することであること、(一)は前記のとおり通常二人で行なうもので(原告は昭和四五年四月一三日から同四六年一月までこの作業を通常一人で行なつていた旨供述するが、証人橋本及び同横山の証言に照らし信用できない。)、同四八年八月まで使用されていたスタンダードキール型の透析台は台の上に幅約七〇センチメートル、長さ約一メートルのプラスチツクの板(重さ七キログラム)が二枚載つており、右各プラスチツク板の上にセロフアン膜が各一枚張られ、右プラスチツク板とセロフアン膜を二組重ねた上にセロフアン膜を固定する鉄枠(重さ五キログラム)が被せられ、その枠が一台の透析台につき一二個のボルトによつて締められていたため、(一)の作業としては、まずボルトを解き、鉄枠及びプラスチツク板を持ち上げて外し、セロフアンを新しいものに張り替えながらプラスチツク板及び鉄枠を再び透析台の上に乗せ、鉄枠をボルトで締めていくという手順であること、ボルトの解き締めはトルクレンチ又はラチエツト付きトルクレンチを用いて行なうためそれに要する力は最大で四キログラムであつたこと、右作業の所要時間は約六〇分ないし七五分であつたこと、原告は本件業務に従事していた期間内に延べにして合計約一五〇〇台の透析台について右作業を行なつたこと、なお同四五年四月一三日から同四六年四月までは狭い部屋の中で二台の透析台を使用して本件業務を行なつていたため、透析台のセロフアン膜を張り替える際には一台を部屋の隅に押し付け、他の一台を部屋の中の比較的広い場所に移動させる必要があつたこと、右二台のうち一台は脚部のキヤスターが動かなかつたのでそれを引き市摺つて移動させたこと、(二)の作業は、前記のとおり患者一人につき約二〇分間指で患者の出血点二点を押えるもので、これに要する力は最大で五ないし一〇キログラムであり、原告はこの作業を右期間内に合計約二〇〇回行なつたこと、(三)の作業は一台一三キログラムの送血ポンプを持ち上げて約一メートル移動させるもので、原告はこの作業を右期間内に合計約二〇〇回行なつたこと、(四)の作業は薬液の入つた薬瓶(重さ一本一〇キログラム)を二ないし三メートル移動し、脚台の上に載つているタンクに右薬液を補填するもので、原告はこの作業を右期間内に合計約五〇〇回行なつたことが認められる。

7  本件業務の過重性の有無

前掲甲第一号証並びに証人橋本及び同横山の各証言によれば、本件業務は本件病院における他の病棟勤務の看議婦の業務に比べて業務の量や身体的、精神的な疲労度が多いとは言えず、原告が前記の長期休養後に復職して以来従事した各看護業務も本件業務とほとんど右負担は変わらないものであること、本件病院で本件業務に従事した者のうち原告以外の職員らは本件業務における労働が過重であると感じたり、身体のどこかに異常が生じたことはなかつたこと、本件業務に従事している者について本件疾病が発生したという事例は全国的にも原告以外にはないことが認められる。

8  原告の体質

前掲甲第一号証、証人橋本の証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告は福島県立医科大学附属看護学校(以下「本件看護学校」という。)在学中の昭和三九年五月二二日から同年六月二五日及び同年一〇月七日から同四二年三月二五日までビールス性肝炎のため本件病院の第三内科へ入院したことがあるが、退院後は肝機能は正常であり、特別な異常体質はないこと、原告は同年三月本件看護学校を卒業し、同年四月一日本件病院に看護婦として採用されたが右既往歴に照らし虚弱体質的な点が問題とされ、前記のとおり同四四年八月三一日までは臨時採用という形が採られ、正規採用されたのは同年九月一日であつたことが認められる。

9  以上の事実を前提に原告の本件疾病が本件業務により生じた災害と認められるか否かについて判断する。

(一)  本件業務のうち上肢に負担のかかる作業は前記6のとおりであるが、これらの作業は前記2における一連の本件業務の中のごく一部にすぎない上、それほど長時間に亘るものではなく、しかも本件業務に従事した者のうち原告以外の職員らが本件業務における労働が過重であると感じたことがない事実(前記7で認定のとおり)に照らせば、原告が右作業も含めて本件業務によつて肩や上肢を特に過度に使用したとは認め難いこと、

(二)  前記4の(三)ないし(七)のとおり、昭和四六年一月から原告が本件疾病であるとの診断を受けた同四八年九月二七日までは本件業務に従事していた際の原告と他の職員との勤務時間、作業内容等の労働条件も全く平等であつたもので、これら他の職員が本件業務における労働が過重であると感じたり、身体のどこかに異常が生じたことがなかつた事実(前記7で認定のとおり)に照らせば、右期間中における本件業務による原告の労働が特に過重であつたとも認められないこと、

(三)  原告は同四五年四月一三日から同年一二月までは本件業務に従事する職員が原告とパートの佐々木だけであつたため、右期間中における原告の労働が過重であつたので、それが本件疾病の遠因になつている旨主張するところ、確かに右期間中における原告の労働条件は前記4(一)(二)のとおりであり原告は右期間中全身に疲労感を覚えていたものである(前記5で認定のとおり)が、証人横山の証言によれば、同四六年一月から同四七年三月まで原告と一緒に本件業務に従事した看護技師横山は、原告から、パートの佐々木と原告が二人で本件業務を行なつていた時期は仕事が大変だつた旨聞いたことはあるが、右時期以外に体が疲れた等の話を聞いたことはなく、横山はむしろ原告が本件病院に以前入院した頃に比べ健康になつたという印象を持つたほどであり、また原告が他の者に比べ作業能率が悪いこともなかつた上、原告が横山や菅野に比べて休暇を取る率が多いということもなかつたことが認められ、右事実に照らし原告の同四五年四月一三日から同年一二月における疲労が同四八年九月二七日の診断による本件疾病の遠因となつたとまでは認めることができないこと、

(四)  前記5のとおり原告の本件疾病は、前記1の症状と異なり、自覚症状以外他覚的所見がなく、しかも右自覚症状は同四八年九月二七日から同年一二月一三日までの治療及び同四九年一月一〇日までの休養によつても改善されず、同月一一日から他の職場へ復職した後も右自覚症状が続いており、原告を診断した医師も最終的には本件疾病を自覚症状のみが先行する不安愁訴とでも言うべきものかもしれない旨判断していること、

(五)  前記7のとおり本件業務は本件病院における他の病棟勤務の看護婦の業務に比べても業務の量や身体的、精神的な疲労度が特に多いと言えず、また本件業務に従事している者について本件疾病が発生したという事例が全国的にも原告以外にはないこと、

等を総合し、鑑定人宗像富士夫の鑑定の結果をも勘案すると、本件疾病が本件業務により生じた災害であると認めることはできないと言うべきである。

四  そうであるとすれば、本件疾病が公務上生じたものとは認め難いとして、公務外の認定をした本件決定は適法であると言うべきである。

五  よつて、本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 後藤一男 山口忍 寺内保惠)

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